【連載vol.4】エロスとタナトス 荒木経惟

雑誌SWITCHで尊敬するアラーキーこと荒木経惟氏が特集されていたので即買い。貴重なコンタクトシートが掲載されていたので印刷だけどルーペで見てみた(印刷は網点なので点が沢山見えるだけ)。ダーマトで赤くマークされているのを見るのも貴重だが、ダーマトが消されているのを見るのがもっと貴重。

でも正直言って、このところ盛んにアラーキーの写真展が行われたり、こういった特集をしたりする傾向に嫌悪感を持つ。ここまでやっているのだから、きっとアラーキー氏本人が推進して積極的に行っているのだろうとは思うが。

メディアや会場が企画しているのかもしれないし、本人が企画しているのかもしれない。真相は聞いてみないとわからないのだけど。

でも、どうしたって想像しちゃうじゃないか。

そんなことは絶対にあってはならぬのです。

本人自らが「エロスとタナトス」を体現する時がくるのは、天地が創造されてからの絶対に誰にもNOとは言わせない約束事なんだけど…わかっているけど、そうは簡単には受け入れることはできません。きっと誰だって。

僕が写真で最終的に目指しているところは「エロスとタナトス」なのだ。その言葉を知ったのはアラーキーがインタビューで語っていたのを読んでからのこと。

エロスとタナトス? なんだそれは? ギリシャ神話からの言葉なのか、哲学用語なのか。でもそんな語源はどうでもいい。僕の頭のなかでずっと渦巻いているのは、いつの時でも離れないのは、アラーキーの言うところの写真の「エロス」と「タナトス」だ。それから20年も写真をやり続けているが、なかなかそれを写真で表現するのは至難の業。

ローマ時代から多くの人立ちがそれに向かって立ち向かい、論議を重ね、いろんな手法でチャレンジしてきたけれど誰も表現できえなかった人間にとっての究極のコトなのではないか。

「エロスとタナトス」について思考を巡らし、巡らし、巡らし、巡らし、戻ってくるとそれはただの「日常」なのではないかと思ってしまう。そう思った瞬間にあの哲学を学ぶときのわかったようなわからないようなムカムカした居心地の悪さが湧いてきてその思いはすっと消えて元の木阿弥になってしまう。

頭上三センチのところまで答が近寄ってきたので「よし、捕まえた!」と上に手を伸ばした途端、そこに残るのは肉眼で見える天井の実像だけである。まるで昨晩見た鮮明な夢を朝に再現させようとする行為のようでもある。

「センチメンタルな旅・冬の旅」という写真集がある。何度も立ち読みしたことがあるが買ったことがない。3000円ぐらいなのですぐに買える値段なのに。正確に言えば買う勇気がないというのが本音だ。買ったら「それ」を認めなければならないからだと思う。所有したくないのだ。家の本棚に置きたくないのだ。ひとまずそこから逃げて、まず誰かに預けておきたいのだ。知らんぷりしていたいのだ。

今までいろんなアラーキーのインタビューや本を読んできた。いつも「アタシの撮る写真は…」とか下ネタやダジャレなんかを言って茶化してばかりいるのだけどアラーキーの言葉の裏にはいつも本質が隠されている。本質をストレートに言うと臭くなるからなのか、シャイなのか、まるで褒められるのが嫌いな子供のようにごまかすように語っている。

いつもあんなヘアースタイルだけど、きっと体の中は本質で詰まっているのだろう。

今日もエロスとタナトスについて悩んでみる。

 

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