国立近代美術館の吉増剛造展

やっと国立近代美術館の吉増剛造展に行けた。各部屋と言っていいのか、各スペースは黒い網のような紗幕で仕切られていて、凄く怪しい雰囲気のなんとも言えない展示方法だった。隣の仕切られたスペースがうっすらと見える。全体的には真っ暗だ。展示品だけに照明が当たっている。

まず1の部屋に入ると目眩がした。

「日誌・覚書」の部屋というかスペースなのだけど、ガラスケースに入ったすごい数の日誌が展示されている(1961年から2012年まで)。それも文字の大きさが2mmぐらいだろうか、凄く小さな字で書かれていて、達筆なのかわからないがほぼ読めない。それも色々な色で描かれている。どういう意味があるのかも解読できない。

感覚的に説明すると、400字詰め原稿用紙に1万字の文字が描かれている感じ(笑)。あえて描くという字を使ってみる。

その原稿用紙自体がアートになっていた。

部屋はほとんど照明はなく、ガラスケースの中だけに照明があって、長いガラスケースが向い合っているので、向かいにあるケースを覗いている人が鏡に写っているようで不思議な感覚だった(意味がわからないでしょうw)。

その特別な展示方法と小さい字だけれどとても意味があるであろう大量の日誌で思考停止してしまう。「これはこうだな」と答えが出せない。あるものを見たままに認めるしかない。

写真は、「声ノート」。吉増氏は色々な声をカセットに録音して保存していた。今回は1000本が展示されていた。その部屋の上からは、10個の小さなスピーカーが天井から吊るされていて、その真下に行くとカセットで録音された声が聞こえる仕組みになっている。

9番の部屋に行く途中の8番の通路も展示。ただのちらかった通路のようだが作品らしい。でもビニ傘とかがまとめて置いてあったけどあれもアートだったのか(笑)。

他にも小さな字で書かれた原稿が展示されているのだが、それは読んで理解するものでもなさそうだった。読むにしても全部読むには一ヶ月はかかるだろう。

なんだか狐につままれた感じの展示だった。

それらを見終わって、MOMATコレクションの奈良美智氏の作品がとてもまともに見えた。

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