【連載vol.13】キューバのこれから Love or Money

ナショナルジオグラフィックの最新号にこんな記事が掲載されている。

米国のクルーズ船が、40年ぶりにキューバのハバナへ入港

2002,2003年に続き、2015年、2016年とキューバに行って来た。

キューバがアメリカとの国交再開直後に行ったのだが、ボクが見聞きする限り多くのキューバ人たちには今のところほとんど変化はない。可もなく不可もなく、ゆっくりと見守っている感じだろうか。

ローリング・ストーンズがLIVEして、大型クルーズ船が入稿し、各国の首相が訪問し、上の方では動きが激しいにも関わらず、まったく変わってない。逆に建物などを見るとどんどん崩壊して悪い方向に向かっているようにも見える。というか、何もやってない(笑)。お金がなくてできないと言ったほうが確かだろうか。

1994年にベトナムを二ヶ月ほど旅をしたことがある。御存知の通り数少ない社会主義の国だ。その時のベトナム人は、「愛こそがすべてだ!」と恥ずかしがること無く正面から堂々と言っていた。現在のキューバもまだその時点にいる。

ベトナムはボクが去った直後の1994年にASEANに加入した。アメリカが入ってきて資本主義導入型社会主義となった。その途端に「愛」は「金」に変わってしまったのだ。今まではまったく知らない人が家に招いてくれて、貧乏なのにお客さんのボクに料理を出してくれたりした。そんな世の中だったのだが、段々と強盗や犯罪が増えていった。

愛よりもお金が必要になってきたのだ。

キューバが全く同じ道を歩むのではないかと想像できる。それも54年もの間抑圧され耐えてきたのだから物だって思いっきり買ってみたいだろう。贅沢をしてみたいだろう。新しい物がほしいだろう。ブランド物もほしい。

ボクたちは資本主義という道を歩いてきてた。買って、捨ててまた買ってというどうしようもない世界を通過してきた。それは今も更に加速しているかとも思われる。

一部の人達はそれがちょっと違うのではないかと気がついている。いや多くの人が「それでは幸せは買えない」と気がついているはずだ。

それにも関わらず、まだ物を買わされている。買っているというか買わされている。それでもお金が無い、お金が足りないと嘆き、また働き心身ともに疲れ果て、休みは働くためへの体力温存日に変わる。

お金を稼ぐために生きているのではない(ですよね?)。会社に行くために生きているのではない(ですよね?)。知らないおじさん(上司)に怒られるために生きているわけではない。

本当の贅沢は物を買うことではないですよね。物を買ったはいいけど使わずにその辺に転がっていたり、押し入れの中にきれいにしまってある物ってないですか。

もちろん幸せになる物もあります。サーフボードだったり、絵の具だったり、テニスのラケットだったり。ボクだったらカメラとか。

でも買うことが本質ではありません。その物を使って幸せになっているのです。

キューバには同じ間違いをしてほしくない。物が欲しくて、お金が欲しくて、競争社会になって…疲れ果てて、物を買ったはいいけれど本当の幸せ感はなく、物欲を満たしただけの満足感だけが残る。そんなキューバになってほしくない。

しかしそれはこちらの勝手な希望であって、キューバ人はお金も欲しいし、買い物も存分にしたいでしょう。ボクらが偉そうに言うことではないのでしょう。お金を持っているコチラ側のエゴでしょう。上から目線かもしれません。

でも、それは違うんだよって教えてあげたい。ボクたちはこんな失敗をしてきたんだよって教えてあげたい。

今のキューバ人たちは素晴らしいんだよ。今のキューバ人のままでいてほしいんだ。みんなの生き方は美しいんだよ。それが本当なんだよ。

ボクはみんなから教えてもらたんだ、大切なことを。もし近々、みんながお金お金、物、物って言い出すような世界になっても、ボクは覚えているよ。

ボクたちは、人生を謳歌するために生きているということ。

この歓喜溢れる世界を楽しむためにあるということ。

本当の愛があるってっていうこと。

忘れないよ。それを教えてくれたのはあなたたちキューバ人だってことを。