【連載vol.3】イントロダクション その3 大抵の場合、偶然によって何かが起こる。

旅を始めて三ヶ月、タイのバンコクへ戻るとき、トランジットで立ち寄ったシンガポールで僕の一生を左右する出来事が起こった。人生を変える出来事はなんの前触れもなく、予兆もなくやってきた。

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僕がシンガポールの街をふらふらしている時だった。今となっては呼ばれたとしか言いようがないのだが、ハッとしてふとショーウインドウを見ると一眼レフが店頭に並んでいた。キャノンEOS888というカメラ。ラッキーナンバー「8」が3つ。導かれるようにその店に入り僕はカメラを手にすることになる。

僕が初めて手にする一眼レフカメラだった。

お金を節約しながら旅する典型的なバックパッカーだった。一泊200円の宿にしようか100円のドミに泊まろうかという旅のスタイルだったのにどうして一眼レフなどという高額な買い物をしたのか不思議でならない。日本にいたとしても一眼レフを購入するときはきっと迷って迷って、何度も店に足を運んでから買うだろう。それがシンガポールでふと見ただけのカメラをすんなりと買うなんて。

もちろんこの時点では、大きいカメラを買ったからフォトグラファーになろうなんてまったく思ってもいない。一眼レフのほうがきれいに写るから買ったわけでもない。カメラのフォルムがかっこいいと思ったわけでもない。有名な写真家の名前もまったく知らない。これで世界を撮りまくって写真集をだすなんていこともまったく思ってなかった。

カメラとの出会いを単なる偶然と呼んでよいのだろうか。偶然はこの世の中にはない。それは結果としてしか知ることができない。今だからあれは偶然ではなかったのだと言えるが、その時は、みなが持っているカメラとなんの変わりもなかった。深い意味は全く感じていなかった。

多くの偉人伝を読んでいても大抵の場合、偶然によって何かが起こる。ピカソが筆と出会ったように、ショパンがピアノと出会ったように、僕もこの穴の空いた黒い箱と出会った。その偶然はとても幸せな出来事であった。

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海外なので日本語のカメラの使い方のような本も無く、取扱説明書も英語で読めず、何もわからないままにカメラを始める。首から一眼レフを下げている観光客を見つけては、このボタンは何? この小数点は何を意味するの? ISOって何? レンズが外れてしまったのだけどどうしたら直る? などと聞きながら約二年間、ずっと独学で写真を撮り続けることになる。しかし独学というほど一生懸命にカメラのことを学んだわけではない。なにせシャッターボタンを1mm押し下げるだけで写真は撮れてしまうのだから。

その時はフィルムの種類も意味もわからず、帰国したらみんなにスライドショーをして見せようと思ってそれだけの理由でポジフィルムというタイプのフィルムを使って撮っていた。

今でこそデジタルカメラは撮ったその場で写真を見ることができるが、フィルムの場合現像しないと見ることができない。国にもよるが日本と違って現像をするととんでもない失敗をくらうことがあるので現像は控えていた。

しかし途中でどうしても撮れているかを確認したくて現像をしてみたことがあった。その時の驚きは今でも覚えている。ポジフィルムで撮るとこんなにもきれいに撮れるんだ。写真ってこんなにも鮮やかで美しいものんだと。ポジの独特な発色。四角い白い枠でマウントされた小さいポジを人差し指と親指で光に透過して見上げてみる。

美しい。

「美」を意識した初めての出来事かもしれない。小さな世界に詰め込まれた大きな世界と無限の色。何度も何度もポジをつまんでは蛍光灯に照らし見上げた。薄汚れたゲストハウスのベッドの上でポジフィルムという四角い世界の中に入り込んではトリップしていた。

全くの知識もないまま、写真とはなんぞや、一眼レフとはなんぞやと何も知らずに旅先で写真を覚えていった。生まれたばかりのアヒルが初めて見たものを親だと思うのと同じで、その当時の撮り方が僕の今の撮り方や哲学にもなっている。今でもその当時と撮り方がまったく変わってないことに気づいてびっくりすることがある。カメラとの出会いはそれぐらい衝撃的な出会いだったの。なんの変哲もない、誰もが持っているカメラという存在が僕の人生を変えてしまったのだ。

放浪を続け、帰国してからも何度も海外へと飛び出していった。お金をためては飛行機に乗り、船にのり、国境を超え、歩き、走り、時に強盗にあい、恋に落ち、助けられ、助けて、砂漠で水をもらい、パンを分け、まだ見ぬ地へと向かった。

それから僕は二十年も写真を続けている。

こんなことになるとは、旅を始めた当時は想像すらしていなかった。これほどまでに僕を惹きつけて魅了する写真とはなんなのだろう。

当時から変わらぬ想い。今感じていること。
そんな写真と人生の話をしてみたいと思う。

これを読んでくれている人は、偶然にもこの道の途中で僕と出会ってくれたのですね。その偶然の意味はまだ先にならないと誰もわかりません。旅を始めた時、みんなとここで合流するなんて全く想像もしていませんでしたから。

合流してくれてありがとう。もう少しだけ、一緒に歩いてもらえると嬉しいです。

つづく…

【Photo by Makoto Suda
イタリア、バチカン市国、サン・ピエトロ寺院にて。

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