【連載vol.6】生徒からの手紙

写真教室をやっていると色々な生徒が集まってきます。紋切り型に単純に写真初心者が集まるわけではりません。写真を撮る前に一人の確立した大人が参加してくるのですから色々な人がいて当たり前です。

まあ遅刻や居眠りは仕方ありません。仕事をして疲れた後に受講するのですから眠くもなるでしょう(もちろん寝ないで欲しいと熱望していますが)。授業を聞いてない人や宿題を全くやってこない人、無断欠席する人など色々な人がいます。

しかし大抵の人は授業を真剣な眼差しで聞いてくれています。僕の趣旨に賛同して受講してくれる真面目な人ばかりです。それはとても嬉しいことです。心より感謝しています。

中には、感受性が高くて僕の話を聞いているうちに泣き出してしまう人もいます。泣きたかったけど他の生徒がいるので授業中には泣くことができなかったという話は後からよく聞かされます。今、その人の人生の中で起こっていることと、過去と未来と写真というものの本質がシンクロしてしまったのだと思います。

とてもよくわかります。だから生徒には泣きたいときは泣いてもよいと言っています。でもなかなかできるものではないのがこの現代。みんながいるところで一人泣いては恥ずかしい。人と違う行動をしてはいけない。授業の邪魔になるのではないかと泣けないのですね。親や友達や学校や社会からそう習ってきたのでしょう。人に迷惑はかけてはいけませんよと。もちろん大抵の場合、人に迷惑をかけることは良くないことかもしれませんが、写真教室の授業中に泣くことは全く迷惑ではありません。

泣きたかったら泣いていいのです。それが僕たち写真家がやっていることなのですから。泣きながら写真を撮ったことも度々あります。

また、授業を聞いて会社を辞める人、就活をやめる学生、放浪の旅に出てしまう人、写真をやめて他の表現に移る人などは必ず一クラスに一人はでます。たかが写真の教室なのに人生が変わってしまう人も沢山います。とてもシンプルな宿題からそんな人生の転機をキャッチしてくれる人もいます。

そういった色々な生徒がいていいのです。それは写真と同じですから、いろんなスタイルの写真があるのと同じなのです。ある人はカラーである人はモノクロで。大きいカメラで高いカメラで、安いカメラで…写真のスタイルを挙げたらきりがありません。写真と人生は同じです。人生は写真と同じ。好きにして良いのです。

*   *

卒業すると皆いろいろな方向に進みます。他の先生に習う人、離れていく人、もっとここで学びたいと言ってくれる人、いつまでも慕ってくれる人。

そんな中、卒業生から感想の手紙を時々いただきます。そんな手紙のひとつを紹介したいと思います。

「私は須田さんのワークショップを受けて、あぁ育て直してもらったんだなぁって思いました。今まで自分がやりたいと思ったことがあっても周りの人の目を無意識のうちに気にして物事を選択してきました。

でも、そうしていく中で気づかぬ内に色んなことを溜め込んで、抜け出せなくなっていた私がいました。

だけど写真と出逢ったことで、そこから解放させてもらって、もっとやりたいことをやってもいいし、自分を通して感じたものを表現してもいいんだって思えるようになったんです。

これは、写真との出逢いだけではなくて、須田さんという人との出逢いがあったからこそできたことなんだなぁって、しみじみと感じました。そういう意味で、須田さんに許されて、そして育て直してもらったんだと思ったんです。

私にとっては、とてもとても大きな気づきです。これをもっと誰かの幸せの為に還元できたらいいなぁ。そう思います。本当にありがとうございます。出逢えてよかったぁ」

彼女は、いつも笑顔でニコニコしていました。しかしどちらかといえば無口で、授業を受けている間にこの手紙のようなことは一言も僕に言いませんでした。でも心の奥の奥の方では感じてくれていたのですね。そして卒業後にそれが心の奥から戻ってきてやっと言葉にできるようになって、一生懸命伝えてくれたのだと思います。

僕は、許してもいないし、教えてもいないし、ましてや育てるだなんてそんな大それたことをしたつもりはありません。ただのきっかけにすぎません。

長年、写真と旅に関わってきたリアルな体験で学んだこと、気がついたことを写真というものを通して語っているだけです。万人受けする授業ではないことは百も承知です。万人受けする授業はどんなものかもよく知っています。多くの人が何を学びたいかも知っています。しかし僕は僕のリアルな体験を活かして、僕の方法で、哲学で、独自の内容で写真を教えています。

それだけに残念ながら伝わらない人には伝わらないこともよくあります。だから受け取って自分のものにしたのは彼女の方なのです。しっかりと心をオープンにして受け入れてくれたのです。彼女自身が自ら育ってくれたのです。ガチッと音がするぐらいハートの奥底でキャッチしてくれたのです。お礼を言いたいのは僕の方です。いつも学ばせてもらっているのは僕の方なのです。

たった一枚の紙切れである写真というもの。それは偉大なる紙切れです。人生においてやりたいことをやっていいんだ、なんていうことに気づかせてくれるのですから。そんな秘密が隠されているのも写真という紙切れなのです。

写真をたくさん撮って、たくさん見て、たくさん見せて、その幸せを自分のすぐそばにいる人でよいですから伝えていってほしですね。何気ない日常の写真でもよいのです。コツコツと伝えていってほしいと思います。

伝える方法は、何もいきなり写真展とか写真集などではなくてもよいかと思います。それどころか写真でなくてもよいと思います。絵だったり、音楽だったり、口頭だったり、文章だったり、踊りだったり、もしくはスポーツだったり。表現の方法はいくらでもあります。

でもその中でも最強の表現方法は、手紙をくれた彼女が教えてくれています。

「自分が変わっていくこと」ではないかと思います。自分が心底感じたことを自分という心身を通して表現する。表現というと難しいかもしれませんが、ただ変わった自分のまま自信を持って生きていくことです。

何も語りません、芸術的行為もしません、展示もしません。特別なことをするわけではなく「自分が変わる」ことです。それはもしかしたら今までねじれていた体を自然に戻す、本来の自分になるということかもしれません。

生きるだけです。みんながその姿を見てハッとするのです。あ、それでいいんだ、と。

それが最高の表現方法なのではないかと思います。

それができたならどんどんと世の中がよくなっていくはずです。

そしてそれは本当に写真が上手くなるということにつながっていくのではないかと思います。

一人でもこの大切なことが伝わっていたことに感謝します。ありがとうございます。

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※参考文献:「旅をする木/星野道夫」

※写真は手紙をくれた生徒とは関係ありませんが、他の生徒が丁寧に毎回の授業を記録してくれていたノートです。みんな一生懸命聞いてくれているので感激です。

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