今年の撮影で一番心に残っているのは、この方、ハービー・山口さんを撮影できたこと。
銀座・森岡書店での写真展の時だった。突然来てくださり本当にビックリした。今、日本で一番忙しいであろう写真家ハービーさんが来てくれるなんて夢のようだ。普通ならありえない。本当に感謝の気持ちで一杯だ。
だって、僕でさえも大きな写真展だって忙しくてなかなか行けないのに。わざわざ会場まで足を運んでくださったのだから。それも森岡書店は銀座とはいえ中心から離れている。
写真が恩返しをしてくれたのだろう。
ハービーさんが僕の写真を撮りまくってくれたので、お返しに僕も撮りまくった。
僕のことを撮ってくれたのはライカM10。ハービーさんが撮っている姿を被写体として見ることができたのはとても貴重だった。端から見るのではなく正面から見ていたわけだから。
どうやって声をかけて、どういうタイミングで、どういう雰囲気で、どういう指示を与えるのか…。何度も見たハービーさんが撮った写真集の人々の表情をどうやって撮影しているのかを目の前で実体験した。
しかし、あれは写真じゃないのだろう。きっと魔法のひとつなのだと思う。実際よく覚えてない。魔法にかけられてしまった。こんな機会はないのですべて盗もうと思っていたのだけど具体的な言葉では表現できない。どうやって撮っていたのだろう。撮られたのだろう。
何か言っていたかな? 簡単なことは言っていた。そこに立ってとか。でも具体的なことは何も言っていなかったような。それとも聞こえなかったのかな。
魔法なんていう言葉が少女チックなのであればこうも言い換えられる。「ループ量子重力理論」なのだろうと直観した。詳しくは今まだそのことについて研究中なので言及できないが。
もう一つ思い出したことがある。
合気道の範士の方と話をしていたときである。
「合気道の究極はなんですか」と訪ねた時その方はこう答えたのだ。
「相対を超えること」
うん、こっちの方がわかりやすい。僕はその合気道の方と会ってからそれを写真に対する目標の一つともしている。
「相対を超えること」
その穴の開いた黒いハコは、機械であり道具であって、どうしても動かすのに数字を使って時間を表示しなければならない。それを使う僕らも基準になる数字を表示してもらわないことにはわからない。相対を超えるスイッチは付いていない。魔法モードもない。ましてやループ量子重力理論モードもない。
撮影側と被写体の相対を超える。つまり人間の究極の世界ということだ。
カメラも写真も捨てて、握手もハグもせず、言葉を使わずお互いを理解しあうこと。写真なんていうやぼったい行為は意識の中になく。撮らず。撮らないけれどそれ以上の何かの状態になって、最高にハッピーな気持ちになれること。
それを「シャシン」って呼べたらいいな。
写真は、時間も空間も飛び越えられる本当に魔法のようなものなんだ。
そして最後はいつもこれだよね。
感謝。
本当にありがとうございます。
ハービーさんに、そしてすべてのことに感謝しかないです。
ありがとうございます。