【連載vol.5】カメラ

カメラ。芸術界にこんなに簡単で楽しい道具は他にあるだろうか。楽しい芸術、道具は沢山あるかもしれないが、「簡単」となるとそうはないだろう。

直径1cmぐらいのボタンを人差し指でただ1mm押し下げるだけだ。あまりにも簡単すぎて笑えてくる。子供でもお年寄りでも誰でもできる。たぶん他の動物でもできる動物もいることだろう。キツツキの連写など見てみたいものだ。

たった、それだけで「いいねー!」とか「カッコイイ!」などと言われてしまうことがある。

そのボタンはレリーズボタンとか、シャッターボタンと呼ばれる丸いボタン。大抵の場合は黒か銀色で円形だ。それを押すだけで褒められてしまうのだから、シャボン玉やフラフープなど一見簡単そうに見えて難しいことをやっているアーティストたちには申し訳ないぐらいだ。

僕は高校のころ、女の子にモテたいという理由だけでギターを始めた。でも、ギターを弾くには、弦が6本、フレットが22フレットもある楽器を指5本から10本を使って、時に速く、時に遅くと使いこなさなければならない。その後バンドをやり始める時にじゃんけんに負けてベーシストになったが、二本弦が減ったにもかかわらず逆にもっと難しかった。

楽器演奏というのは、女の子にモテることが目的にしてはかなり複雑なことを習得しなければならない。そんなことが目的にしてはなんと非合理的なことをやっていたのだろうかと思う。それでも多かれ少なかれそんな気持ちでギターをやり始めた男子は多いのではないだろうか。

絵を描くのは大変だ。まず何もないところから何をどう描くか、テーマやモチーフを自分で考える。次にキャンバスを張って、デッサンをする。絵の具を混ぜて出したい色を作る。色を創る作業など相当な技術と修練が必要だろう。例えば「緑」を数種類の絵の具を混ぜて作るといっても無限数の緑の色があるのだから。それを自分のイメージに合わせて作るだなんて。そして一筆目を入れるのは勇気のいることだろう。一度塗ったら白いキャンバスは後には引くことができない。意を決して一筆目をキャンバスに押し付ける。そして完成は下手をすると数ヶ月、数年に渡るかもしれない。絵を描くには根気が必要だ。

ところが僕達は最短で1/8000秒で作品が完成してしまう。たったの8000分の1秒だ。絵は数ヶ月。ギターだって女子にモテるようになるためには数ヶ月は要するだろう(女子にモテるというよこしまなモチベーションがなかったらFコードの痛みは乗り切れない)。 同じ表現でも作品が完成するまでの時間が、ジャンルによってこんなにも差がある。

僕の旅友達でインドのシタールという楽器を演奏する男がいる。インドでシタールと出会い、すっかり魅了されて、インドで学び、何度もインドに通い、今は日本を代表するシタールプレイヤーになっている。彼とはインドの道端で知り合ってかれこれ20年来の付き合いになる。旅で知り合った友達というものは、タイム感が同じで付き合いやすい。いくら長い間会ってなくても、ひとたび顔を合わせて握手すればいつでもインドの道端に戻れる。面白いものだ。脳の中に同じタイムマシンを持っているのかもしれない。

しかし、演奏となると彼らのタイムマシンは僕らフォトグラファーとは全く違う。

インドには色々な宗教があるが、ヒンドゥー教には輪廻転生という観念がある。何度も生まれ変わるのだ。僕がネパールでスリに遭った時、宿の人が言っていた。そういう悪いことをする奴は来世は蛇になるんだと。井上陽水の「人生が二度あれば」という曲は大好きだが、蛇にはなりたくないものだ。

話は戻ってインドのシタールの話。輪廻転生で物事を考えると、単純に人生80年としてまず最初の80年でシタール学校初級クラス卒業となる。そこで死んでその人生は初級で終わり。そして生まれ変わって次の80年の人生で中級クラス卒業。また死んで生まれ変わった次の世代でやっとマスターになれるという思想のもとにシタールを習っているというのだ。

80歳×3人生というタームでシタールを習っているのだ。つまり240年でやっとシタールを一人前に弾けるようになるということだ。

僕らはたったの1/8000秒だ! それもたった1mm、1cmのボタンを押すだけ。シタールプレイヤーの方々には申し訳なくて頭があがらない。シタールなんて弦が19本もあるのだし。

陶芸家の知り合いはこう言う。

「私は、今認められなくてもいい。数億年後に誰かが土の中から私の作品を掘り出してくれて評価してくれればそれでいいわ」

なんとロマンのあるタイム感なのだろうか。作品が認められるのは数億年後である。数億年後を想像しながら、今、真剣に作品を作り上げる。数億年後の人々の歓喜の声を聞きながら、今、創る。

彼はシタールを使い240年、彼女は土を使い数億年、僕らはカメラを使って瞬間に。しかしどんなにタイム感が違っても、哲学が違っても、宗教が違っても、死生観が違ってもある共通点がある。

今、創るということだ!

今、創るんだ。

今、創らないといけなんだ!

この一瞬は、その一瞬にしか存在し得ないのだ。その時間しか存在しないのだ。どんな表現方法においても創るのは「今」しかないのだ。

陽がのぼり、陽が沈み、月が昇り、闇が来て、朝が来て、風が吹き、雲が流れ、雨が降り、虹が出て、人が生まれ、人が死に、河が流れ、山が動き、海が騒ぎ、星が生まれ、流れ、消え、どこかで宇宙が誕生し、無くなる。一瞬とて同じ時間はないのだ。

一瞬とて同じ時間は、絶対に、永遠に、二度と戻ってこない。

だから撮るんだ。

だから僕らにはカメラが必要なんだ。

この黒い箱と丸いガラスを使って、今を捕まえるんだ。

そして永遠を一枚の紙の中に定着させるんだ、永遠に!

僕らはカメラを使って。

Makoto


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