須田誠 写真教室の物語

須田誠 写真教室の物語

お酒を飲みながらの授業

2011年1月それは始まった。第1期生は東京の中目黒にある小さなBLISSという旅カフェから始まった。

最初は写真教室など開催して生徒が集まるのだろうかとオーナーと話をしながら恐る恐る告知を始めた。マーケティングもリサーチなどもまったくしていなかったと思う(笑)。当時、他にも写真教室はあったのだろうか。数人が集まって、アットホームな感じでホンワカできたらいいなぐらいに考えていた。とにかくやってみようという勢いだけはあった。勢いとは凄いものだ。募集を開始すると一気に50名ほどの応募があった。

カフェは10名ほどしか座れないので逆に焦った。もちろん次の開講予定など全く考えておらず、急遽先着10名以降の方には相談の連絡をして、第四期生までクラスを拡充した。

平日の夜のクラス。カフェなのでワンオーダー制にしていて、フードでもドリンクでもよいのでオーダーをすることになっていた。みな会社帰りだったので美味しいエスニックフードを食べたり、ドリンクを飲みながらの受講だった。その当時は、特別決め事も甘かったのでお酒をオーダーする生徒もいた。一杯飲みながらの受講である。となるとおかわりをする生徒もいて段々いいテンションになっていったり(笑)。

あのアナログ感、ファミリー感というのはうちの写真教室の原点でもあるような気がする。当時の生徒たちとはいまでも交流がある。今では結婚したり、お子さんがいる人も沢山いる(余談だが生徒同士てで結婚したカップルも10組以上いる)。

須田誠 写真教室はそんな勢いあるスタートだった。

写真の力を信じていく

しかし2011年3月11日。東日本大震災が日本を襲う。

日本は大混乱に陥り写真教室どころではなくなり全てのクラスが延期となった。生徒たちに「気をしっかり持って生きていこう」というメールを配信したのをよく覚えている。我々は東京なので直接被災したわけではないが、福島の原発のことがあり日に日に精神的に疲弊していった。

そんな中、写真で何かできないだろうかと考えた。芸術家たちも動き出していた。

「写真で誰かを元気づけたり、寄付をしたり、応援したりしたいのだけど一緒にやらないか」と生徒に声をかけた。生徒たちはまだ入学したばかりで、大して写真も習っていないのに快く受け入れてくれた。

みんなが一丸となって立ち上がったエナジーを強く感じた。写真を通してみんながひとつになった。こんなことができるだなんて予想だにしていなかった。

写真展を開催したり、映像を作ったり、イベントをやって寄付金を集めたり、楽器を集めるイベントを開催したり…。いろいろな形で活動し、発信を続けた。そこには常に写真があった。

現地に撮影にも赴いた。写真を失った現地の方々の写真を一から撮り直そうという企画。その合間を見て現地の風景も記録に残した。写真の意味を強烈に考えざるを得なかった。

あまりにも大きな災害であり、かつ東京は別の意味でも不安の中に放り込まれた。不安だったのだろうか常に何かできないかを考え続けていた。

写真洗浄というボランティア

その中でも一番大きかったアクションは「写真洗浄」というボランティアに参加したことだった。東京で、東北で生徒と一緒に参加した。

それは海水に浸って泥まみれになった写真アルバムをきれいに洗って、新しいアルバムに入れて戻すという内容だ。そういったボロボロになったアルバムが沢山あった。浅田政志さんの映画「浅田家」で見たことがある方も多いのではないだろうか。あのボランティアに生徒と一緒に何度も参加した。

この経験を経て生徒たちは写真的に人間的に大きく成長した。僕も写真家として多くの体験をした。考えることも沢山あった。

そういう写真教室である。

単なるきれいに写真を撮るだけのスキル偏重主義の教室とは一線を画している。そういった教室は日本中に捨てるほどある。

ここは写真を通して生徒とともに人生を学べる教室なんだ。

写真教室の標語にもなっている「WE BELIEVE PHOTO POWER!!」という言葉が脳裏に浮かんだのもこのボランティアをやっている時だった。

つづく…。

To be continued!お楽しみに!!